操上名誉会長×山本新社長 特別対談

操上名誉会長 × 山本新社長 特別対談

株式会社ピラミッドフィルム代表取締役社長に山本和樹が就任した。
創立者であり現名誉会長である操上和美から改めて学びたい、
と山本から申し出て、2時間に及ぶ対談が行われた。
創立から47年を振り返り、気持ち新たにスタートするピラミッドフィルム。
クリエイティブプロダクションとして何をし、どこへ向かうのか。
新体制の第一歩がここにある。

ピラミッドフィルムには
操上和美という根源がある

山本本日はお忙しいところお時間を頂きましてありがとうございます。
操上社長就任おめでとう。
山本ありがとうございます!恐縮です。
今回社長に就任するにあたってまず感じたのは、ピラミッドフィルムをもう一度見直そう。ピラミッドフィルムグループのアイデンティティーって何だろうと。
そう思った時に、根源はやはり「操上和美」だと。会社を設立された操上さんにお会いして話を聞くのが一番良いのではないかと。
操上さんと対談させてもらい、色々お言葉をいただき、スピリッツやDNAを感じながら、社員、スタッフ、広告代理店、クライアントの方々にピラミッドフィルムはこういう会社なんだともう一度、再認識してもらいたいと思いました。

4人で始めたから、
4面体のピラミッドという名前に

山本ピラミッドフィルムは1978年設立ですが、その時のお話を聞かせてもらえますか?
操上当時ソニー、パルコ、西武百貨店、VAN、あと車とか。そういう仕事からスタートして、そんなに大きくするっていう意図は元々なくて、せいぜい20人ぐらいがコントロールするのにちょうどいいかな、と思っていたんだ。
ところが会社っていうのは不思議なもので、次々人が集まってきて止まらない。あれあれって思っている間にどんどん増えて、「しまった」と思った。
山本「しまった」と思ったんですか。どうしてでしょう?
操上大きくしたら、なんかやばいじゃない。普通は社長が会社にいて全体の管理をするんだけど、俺はほとんど日本にいなくて海外を飛び回っていたし…。だから社長の代わりを全部当時の副社長にやってもらっていた。
山本元々は4人からスタートされたってお聞きしました。
操上ピラミッドフィルムの名前の由来は4人で初めたから。1個4面体のピラミッド。
当時ピラミッドパワーっていうのが流行っていてちょうどいいかなと思って。フィルムプロダクションだからピラミッドフィルム。今考えたら古いかな、フィルムって?
山本いえいえ、フィルムがあるからピラミッドフィルムなんです。
操上デジタルピラミッドって。
山本カッコ悪いです。
操上悪いよね。当時は、映画や動画はフィルムだったんで、ピラミッドフィルムにしたんだ。古くなってきたかなと。変えるんなら、変えてもいい。
山本絶対、変えないです!

クリエイターが集まる
原宿セントラルアパートからのスタート

山本4人でのスタートは原宿のセントラルアパートですね。
操上何故かというと、俺がセントラルアパートにキャメルっていう事務所を持っていたから。近いし。あそこって部屋が小さいから足りなくなったらまた増やしていけばいい。そしたらだんだん増えて…。
山本当時セントラルアパートにはすごく有名なクリエイターの方が大勢いたとお聞きしました。
操上多くのクリエイターが集結していたなぁ。色んな人たちがいるのでとても刺激にもなった。浅井慎平さん、鋤田正義さん、カメラマンも何人か。あとは、コピーライターの糸井重里さん、西尾忠久さん、イラストレーターの宇野亞喜良さんとか、小澤征爾さんまでいたから。
山本小澤さんもいらっしゃったんですか?本当に今思うとすごい人ばかりですね。

芝浦の倉庫をオフィスにするという
画期的な発想

山本原宿セントラルアパートから芝浦の倉庫に引っ越したのは1984年ですね。
操上社員も増えていた頃、海外ロケもどんどん増えたんだ。海外へ行くと特にニューヨーク、ソーホーあたりの倉庫街は安いからアーティストが借りて絵を描いているわけ。撮影のスタジオもそう。天井は高いし、広い。連れていったプロデューサーとか、広告代理店の人が入ると全員が必ず、「わあっ」って驚いて見るの、広いから。それを聞いていて、そうか、日本で一番貧しいのはスペースだな、建物だよなと思って。よし、俺も日本に帰ったら倉庫を会社にしようと。
山本大胆な発想ですね。
操上帰って来てみんなに「おい、竹芝の倉庫に引っ越すぞ」って言ったら、全員が「ええって」ひっくり返った。
山本皆さん、原宿を離れたくないって引越しに反対されたんですよね。しかも当時の竹芝は本当に何にもないところでしたし。
操上それで倉庫だけなら駄目だなと思って内装デザインは内田繁さんにお願いし、大胆に作った。通路も幅広く作って。黒とグレーにペンキを塗ったり、入り口をガラスブロックにしたりとか…。
山本懐かしいです。僕が初めてピラミッドフィルムに行った時、やっぱりびっくりしました。オシャレなオフィスだなって。ピラミッドフィルムと言えば操上さんのお名前と、あの倉庫のオフィスです。
操上みんながオフィスに来ると、必ず天井を見上げて驚くんだよ。「うわー高いなー」って。
山本今はもうあんなオフィスできないですよね。建築法や消防法が厳しくて。改めてものづくりの仕事場にとって、ああいう広々とした空間ってとても大事だと実感しました。
操上普通のオフィスで、なかなかそういう気にならないよね。本当によかった。
山本5年前に取り壊しのために立ち退きをしたのが残念です。
(現在は芝浦にオフィスを構える)

写真家、映像カメラマン、ディレクター、
海外を飛び回った操上和美

山本’70~’90年代、操上さんは日本にいなく、海外を飛び回ってる時代だったと。
操上ほとんど海外ロケが多かったね。日本が経済的に強くなってきて、海外ロケ行ってもそんなに大変じゃなかった。今だったら大変だけど。
山本海外ロケから日本に帰って来たかと思うと、またすぐに海外。
操上帰ってきたら海外ロケじゃなくて、L.A.からニューヨークに行って、ニューヨークから東京帰ろうと思ったら、またそこからもう一個仕事が入って。またそこからもう一か所行くみたいな。だから、海外の現像所でラフ編集していたなぁ。
山本もうその時は写真(グラフィック)とフィルム(CMディレクション)だと、半々ぐらいの仕事の量だったんですか?
操上そう。大体フィルム(CM)だけの仕事っていうのももちろんあるけど、何となくグラフィックも付いているじゃない。だから両方やる。
山本当時、操上さんのようにグラフィックを撮って、CMも撮って、ディレクションもやる人っていらっしゃいました?
操上いなかったんじゃないかな。
山本そうですよね。その後もあまりそういう人、出てこなかったかと。操上さんが初めて1人でCMディレクター、カメラマン、グラフィックカメラマンをやられた方だと思います。

2人の初対面では微妙な空気が流れた?

山本僕がピラミッドフィルムに中途採用で入ったのは 1997年です。
操上結構、あとだね。
山本はい、今でも操上さんに初めてお会いした時のことを鮮明に覚えています。多分操上さんは覚えてらっしゃらないと思うんですけど。
操上覚えてるよ。
山本そうですか(笑)それは嬉しいです! ちょうど前の会社(プライムピクチャーズ)を辞めようと思った時に、先輩から取締役を紹介され、なぜか気に入ってもらい「じゃあ、うち来い、面倒見てやる」って言われて入社しました。
社長面接日は確か操上さんが海外から戻ってきた日でした。初対面はすごく緊張して、自己紹介もロクにできませんでした。操上さんの第一声は「君、フランス映画は好きか?」でした。
操上そんなこと言ったかな?
山本はい、僕はフランス映画をほとんど観たことなくて「あ、すいません。アメリカ映画とかのほうが好きで」とか、関西出身なんでお笑いが好きだとかを話していたら、操上さん、何の反応もなくて「じゃあ後、任すわ」って、帰ってしまいました。ああ、これは落ちたなって背筋に冷たい汗を感じました。
操上それは失礼なことしたな(笑)
山本いえいえ、でもこうして入れましたから(笑)

ハプニングだらけだった2人の初仕事

山本僕が入社して3カ月後、操上さんと一緒に車の仕事で海外ロケ(L.A.)に行きました。
操上車の撮影で砂漠にロケ行ったんだよな。
山本デスバレーの一本道のところです。操上さんがCMディレクター、カメラマンとグラフィックもやられていて。僕は撮影の別部隊。今みたいなWEBはなく、VHSテープでのイメージビデオや機能説明映像のディレクターとして同行しました。内容覚えています?
操上確かハリウッドの映画俳優に出演してもらって…。暑かったよ、あの時。
山本真夏のデスバレーは50度以上あって、道路が溶けていましたから。地元の人が、「おまえら、死ぬ気か」って言われました(笑)
操上めちゃ暑かった。
山本そんな中、操上さんがアングルを探すのに50度以上の砂漠を走るんです。 熱中症もそうですけど、ブッシュや岩に入るとガラガラヘビもいてとても危険。そんななかで操上さんがカメラを持って砂漠を走って、岩に登って、外国人スタッフが慌ててその跡を追っかけていく。操上さんはお構いなし。パワフルだなぁと思いながら見てました。
操上ハハハ。
山本そのCMの面白いエピソードがあって、企画が新車なのに一度も走らさず映画のワンシーンみたいに俳優と車の掛け合いのみ。クライアントに試写をしたら運悪く宣伝部の担当者が変わり、「なぜ走りがないんだ?!」と怒って、あわやお蔵入りになりかけました。
操上それ、知らない。もう次のロケ行っているから分らなかったな。
山本揉めに揉めて、最終的にはプロデューサーの意向で操上さんが降りたんです。そして僕が急遽CMの監督に抜擢され、車の走りを撮りにもう一度50度以上のデスバレーに行きました。
操上デスバレーにまた行ったの?
山本はい、もう2度と来ないなと思っていたらすぐ後に。その後撮影を終え日本に帰り、編集も音楽も改訂して完パケました。
操上俺、それ知らないな。初めて聞いた。
山本それが僕のピラミッドフィルムでの、ディレクションデビュー作品になりました。

若手社内ディレクターには、
操上さんと組めるという特権が

山本ピラミッドフィルムには企画演出部という部署があり、若手社内ディレクターと操上さんが組む仕事がありました。若手ディレクターだとクライアント、広告代理店の担当者がOKを出さない。なので操上さんにカメラをお願いするんです。すると一発でOKになる。「操上さんが撮影してくれるんですか!?」って。
操上そうだったかな。
山本ピラミッドフィルムの若手ディレクターはすごく恵まれていますね。そんな中、僕だけ一度も操上さんとお仕事を組むことがなかったんです。
操上なかったんだ。
山本はい、一回もないんです。
操上それはやっぱり違う仕事してたからじゃないの?
山本確かにそうですがやはり操上さんとお仕事したい気持ちはずっとありました。
今からでも遅くないので、面白いお仕事あったらお願いしてもいいですか?
操上もちろん、社長自ら。面白い仕事、いいね。

PTHREE、ピラミッドフィルムクアドラ、
上海金頂を設立

山本1990年にPTHREE(ピースリー)を設立。この時にもうピラミッドフィルムも結構社員の人数がいたと思うんですけど。ポストプロダクションをつくろうというきっかけはあったのでしょうか?
操上やっぱり仕事していく上で編集室はあったほうがいいかな、と思って。当時の副社長もやりたいというし。で、つくったのがPTHREE。
山本名付け親は操上さんだとか。
操上そう、なんでPTHREEかっていうと、ピラミッドフィルムがあって、キャメルがあって3つ目。プロダクションのTHREEだから、PTHREE。
山本PTHREEも今年で34年目です。
操上もうそんなになるんだ、長いね。
山本社員が40人くらいいますし、品川港南から芝大門にも引越ししましたし…。
今、ピラミッドフィルムとPTHREEを合わせて 125人くらいです。
操上120~130人になってから長いよな。大体いつもそのくらい。
山本いつも同じ感じですね。ここ最近。
操上あんまり増やさないほうがいいね、大変だから。結局全員で食っていかなくちゃいけないわけだから。
山本今、ピラミッドフィルム クアドラ(デジタルコンテンツ制作の子会社)も40人ぐらいです。グループ全体で社員は170人前後でしょうか。
操上クアドラができたのが確か…。
山本2007年、今から14年前です。その1年前に中国上海に上海金頂広告有限公司を設立しました。
操上中国の金頂あったね。
山本金頂は結局10年間。コロナ禍などの影響で閉鎖しましたが…。
操上いろいろジャンルを広げていくと、だんだん難しくなる。最初はいいけど。
山本社員の顔と名前、仕事内容がわかる規模がうちにはちょうど合っていると思います。

3年後、50周年のピラミッド。
二人とも現役バリバリで迎える

山本あと3年でピラミッドフィルムも50周年です。50周年を迎えたら盛大に盛り上げますので。
操上もう50周年になるんだ。
山本50周年のイベントにはもちろん操上さんにも来ていただいて。
操上50周年の花火大会?
山本いいですね。やりますか(笑)よく業界の方から、操上さんお元気ですかとか、お幾つですかとか聞かれます。「88歳で今もバリバリ写真撮ってます!」というとみんな「すごいですねー!」って驚きます。
あと一つ、業界で操上さんの悪口言う人、1人も聞いたことないです。
操上俺、悪口言われるような、悪いこと、してないから(笑)
悪口っていうのは、せこいやつが言われるんだ。あの人せこいよねとか、ずるいよねとか。なんか人を騙すとか。
山本なるほど確かにそうですね。そう言うところが僕もみんなも尊敬している操上さんなんです。

緊張感ある社内試写会が
クリエイターを育てる

山本倉庫のオフィス時代になるんですが、当時まだピラミッドフィルムに社長室があり、操上さんがいらっしゃると社員みんなの背筋がピンとなり、緊張が張り詰めるんです。
操上そうなの。
山本そうです。
操上もっと頻繁に来なきゃ駄目だな。
山本月に1回試写会があり、操上さんがご覧になって厳しい評価が始まる。それが僕らのモチベーションでもあり、ベクトルになっていました。
操上あったね。
山本その月の完成した映像を全て流すのですが、その試写会がすごい緊張感で…。担当のプロデューサーに操上さんは「こんな映像で納得しているのか!?駄目だろう」と。結構厳しいことを。
操上クライアントや代理店がOKで、それで満足していったらなかなか進歩しない。もっとよりいいものつくるっていうことしていかないと。
山本逆にどんな仕事とか関係なしに、いい映像はすごく褒めて頂いて。「これはいいじゃん、どうやって撮ったの」とか。貪欲に聞かれたりもして。 今もそのDNAが引き継がれていると思います。

操上さんから新入社員へメッセージ

山本自分も社長第一歩なのですが、4月に新入社員も入ってきました。社会人第一歩なので、操上さんから新入社員に向けて一言メッセージを頂けないでしょうか?
操上メッセージ…。新入社員って若いじゃない。若いから先輩の言うことを聞いて、きちっとやればいいと思うでしょう。そうじゃないじゃない。新入社員だから、若いんだから、新しい自分たちが主役だと思って頑張ると。頑張るっていうか、革新する。
山本革新する。
操上あんまり頑張っちゃ駄目なんだけど、やっぱり革新していくっていう。
山本新入社員が主役になるって良いですね。
操上そういう心持ち、心意気がないと。新入社員だから先輩の言うこと聞いて働けばいいんだと思ってちゃ駄目だと思う。
山本ありがとうございます。さっそく新入社員に伝えておきます!

今の時代は面白い、可能性に満ちている

山本操上さんのクリエイティブについての考え方も若い人たちが聞きたいと思っています。僕も何度でも聞きたいのでお話ししてもらえませんか?
例えば今の時代とか、この業界とか…。
操上この時代…。逆に俺がやっていたころよりは面白い。いろんな可能性があるのかなと思うけど。
山本面白い? それは意外でした。いろんな媒体があるからこそ、いろんなアイデアもあって、新しい挑戦もできるし、みたいなことなんでしょうか?
操上そう。つまんないのが90%あったとして、10%でも可能性があるものが残っていて、次からへ次へと芽生えていけばいいわけで。全部が全部、いいってことはあり得ないじゃない。
ビジネスだからやっぱりきちっとしながら、未来に向けての可能性があるやり方、方法論とか、アイデアとか。「おっ、これなかなか、次にも使えるね」とか。
その考え方は基本的に明日に向かっていないといけない。考え方、コンセプトとか、生きてる人からのエネルギーみたいなものとか、そういうのは常に明日に向かっていく。永遠に向かっていける。明日に。
明日に向かってない言葉をただまとめて、ポンッとうまくまとまったでしょう、っていうのはクリエイターとしては良くない。
山本確かにそうですね。以前にも操上さんがおっしゃっていたんですが、現状維持は撤退と同じだと。そんなのあり得ないと。常にその先を行くしかないと。
操上それはエネルギーを回転させるわけだから。ただどうしても、一本丸く収めるという大前提があるから。下手すると却下される恐れもあるわけでしょ。それを収めながら、ちゃんと次に向かう自分がどう成長していくかっていう。仕事一本するってことは、自分がそれだけ進歩するってことで。そういうふうにみんなが育っていくってことは全体の会社の質が上がることでしょ。
山本そういうスピリッツ持って仕事をやらないと駄目ですね。
操上本当にそう。いつもそう思っていないと駄目です。

クリエイティブは技じゃない、
時代に応えることだ

山本操上さんの原動力はそういうところからですか。
操上満足しちゃったら、やばいじゃない。
山本操上さんが以前お話ししていたんですが、自分が撮ったものに満足をしたことがないと。いつも何かしら後悔が残ると。
操上それがまた難しくて。じゃあやればよかったじゃないですかって文句言われる。その時って出来ないんだ。いろんな条件がある。それをクリアするだけでも目いっぱいで。でもそれも終わってみると、いやもうちょっとやれたなっていう。
こういう言葉がきちっとあの時言えたら、こういうことにあの時気が付けば、もう一歩よくできたなとか、もう一歩前進したかなっていうのを毎晩反省する。寝てから…。
山本クリエイティブを上げるために、常に向上心を持ってやる、その意識が大切ってことですね。
操上向上心のみが人間を成長させるわけだから。作品ができたらそこで満足しちゃったら、よりいいものはできない。まして、クリエイティブの仕事は特にそう。ものつくりのほうは極端に言うと技だから。技を磨けば手直しになる。
クリエイティブって、技じゃないじゃない。必ず難題が次から次へと出てくるわけでしょう。それはクライアント、広告代理店とかそういう問題と何の関係もない。この時代にちゃんと要求されているとか、それに対して自分たちがきちっと応えているとか、それを発見できているかっていうのは常にある。
山本その想いは必ず引き継いでいきます。そこがピラミッドクオリティーですから。

つねに期待してもらえる
ピラミッドでありたい

山本最後に図々しいんですけど、新社長に何かアドバイスとか頂ければ。
操上新社長にね。社長になった時になんか自分で決めたことある?
山本当たり前ですけど、嘘はつかない。そして誰に対してもコミュニケーションをより取ろうと思いました。上下の人とか立場も関係なく。あとは堂々とする、とかですかね。
操上やっぱり社長だから。みんなが社長と思って見るんですよ。だからいつも自分は見られている、いつも注目されていると思って、やっぱり自分の行動、しゃべり方、歩き方、全部をきちっと。自分を律するっていうのかな。背筋をきちっと伸ばして。社長意識って、威張るっていうんじゃないの。ものが見えるように勉強していかなくちゃいけない。
山本わかりました。常に意識します!
操上社長、やりがいある?
山本あります。プレッシャーもかなりですけど、もうここまで来たら覚悟を決めています。
操上もう、やるしかないしね。
山本はい。あとは新しいことにも挑戦したいですし。やっぱりワクワクできる会社にしていきたいですね。ピラミッドフィルムは次、何をやるんだろうとか、仕事をしていても、何か楽しくなる、期待できるというか。そういうように感じてもらえる会社にしていきたいです。その雰囲気づくりも僕の大切な仕事だと思っています。

クリエイティブな社長こそ
ピラミッドフィルムらしい

操上社長業っていうのは存在。そんななかで山本和樹は社長だけど、相変わらずディレクターをして、いい作品も作っているっていうのが、もうブラボーです。
山本涙出そうなくらい嬉しいです。正直ディレクターを続けるか迷っていました。やっぱり社長業をきちんとやらなきゃいけない訳ですし。
操上もったいないよ。今までにない仕事を自分でつくってきたり、引っ張ってきたり。それがピラミッドフィルムのためにもなるし、自分のためでもある。自分のためが一番大切。
山本自分のモチベーションが元々そこですもんね。
操上クリエイティブの仕事は絶対やめては駄目だね。うちの社長はディレクター。クリエイティブな人なんですってことだから。絶対やったほうがいい。それがピラミッドフィルムの個性っていうか。クリエイターが社長っていうのは。俺もそうだったんだから。
山本ありがとうございます。操上さんにそうまで言って頂ければまた元気が出ます。
操上自分のプロフェッションはディレクションっていうか、クリエイティブだと。それが立場上、社長という役もやるんだ。
じゃ社長のプロフェッションって何ですかって。みんなのことをちゃんと、目を光らして見るんじゃなくて、自分がきちっとしていることによって、それをみんなが見て、見習うっていうための存在だから。
存在がきちっとしてればいいんだよ。自分がきちっと生きてるって、存在してるっていう旗を振ればよくて。みんなは見てるから。旗は振らないといけない。
山本クリエイティブであり続ける。そしてきちっと生きてるという旗を振る。そのDNAもしっかり継承していきたいです。
本日は貴重なお話をありがとうございました。
改めて操上イズムを注入されたような気がしました。
社員のため、会社のために全身全霊で邁進していきますので、応援、アドバイス、そしてお仕事と、引き続きピラミッドフィルムを宜しくお願いします。
操上はい、期待してます、新社長。

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